No 430 タイとカンボジアの軍事衝突とカンボジア難民について
ここでは、2025年11月時点での、タイとカンボジアの軍事衝突について記載します。
タイとカンボジアの紛争の経緯
タイとカンボジアは、総延長で800キロを超える国境線で接しています。
その国境線は、1904年にフランス領だったカンボジアと当時のシャム王国との間で、引かれたものです。
その国境線の上に、ヒンドゥー教のシバ神を祭るクメール様式の寺院で、現在、世界遺産登録されているプレアビヒア寺院があります。
この、「プレアビヒア寺院」の帰属をめぐり、タイとカンボジアは、長年対立してきました。
2013年には、国際司法裁判所(ICJ)が、寺院と周辺の土地は、カンボジアの一部だと認定しましたが、タイ側は「二国間で解決すべき問題だ」として判決を受け入れませんでした。
このような背景の中で、2025年5月末に、両軍による銃撃戦が勃発し、争いが激化し、7月末には、砲撃や空爆を行う事態にまで発展しました。
ASEANの仲介で、紛争は5日間で終結しましたが、約40名が死亡し、カンボジア側で約20万人の避難民が発生する事態となりました。
タイに出稼ぎに来ていたカンボジア人の多くは、カンボジア国内に戻らざるを得ない状況となり、貧しい多くの人々が、カンボジアの国内避難民キャンプなどに避難することになりました。
カンボジアの難民(IDP)の歴史
戦闘が起きた地域は、農村部や小さな集落が点在する場所で、住民の多くは農業で生計を立てていました。砲撃や銃撃が始まると、住民は突然自宅を離れざるを得なくなり、数万人規模の人々が安全な場所へ避難しました。特に被害が大きかったのは、カンボジア北部とタイ東北部の国境沿い地域です。
この人々の多くは「難民(Refugee)」ではなく、「国内避難民(IDP)」でした。
彼らは国境を越えて他国に逃れたのではなく、同じ国内の別の地域へ避難したため、国際法上の難民には該当しませんでした。その結果、国連難民機関(UNHCR)による難民キャンプの設置などは行われず、自国政府や地方自治体、赤十字などによる一時的支援が中心となりました。
避難した人々は、学校や寺院、公共施設などに身を寄せ、食料や水、医療支援を受けましたが、生活環境は厳しく、収入源を失った状態が長く続きました。また、地雷や不発弾の危険が残った地域もあり、戦闘が収まった後もすぐに故郷へ戻れない人々が存在します。
2013年に国際司法裁判所が判断を示し、軍事的緊張が緩和されると、多くの避難民は徐々に帰還しました。しかし、家屋や農地が破壊されていたり、生活再建に時間がかかったりするケースも多く、紛争の影響は戦闘終了後も長く残りました。
2025年時点でのカンボジアの難民( IDP )
2025年に再燃したタイ・カンボジア国境紛争では、武力衝突によって多くの住民が自宅を離れざるを得ない状況になり、国内避難民(IDP)が数十万人規模で発生しています。カンボジア政府のデータでは、国境沿いだけで約33万人が避難生活を送っており、うち約24万人が臨時避難所で生活していると報告されています。さらに一時的に避難した人数を含めると、最大で約60万人規模の避難者が発生した可能性があるとされています。
支援については、国連機関、国際NGO、市民団体などが複数の支援を同時に行う体制が整えられており、世界の支援団体が活動を展開していますが、実際に現地に行くと、公共トイレ、上下水道などのインフラは整っているものの、食事が不十分であったり、学業への支援が不足していたりする現状を見る事ができます。
多くの人に話を聞くと、一時避難のつもりでキャンプにいるが、実際には、避難が長期化する懸念が大きいようです。
多くの人々は紛争の影響で家屋や学校、医療施設が被害を受けたため、すぐに自宅へ戻れない世帯が残っており、帰還は難しいです。2026年初頭の時点でも40万人以上が避難状態にあり、特に子どもや妊婦、障がい者など脆弱な人々への保護・支援が引き続き必要とされています。
セカンドライフでは、定期的に、カンボジアのIDPへの学用品支援などを行っていきます。
■ 関連情報
・ 643 カンボジア シェムリアップの難民キャンプ