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2026年02月21日 更新
軍事政権の国 ミャンマー連邦共和国からのレポート

軍事政権の国 ミャンマー連邦共和国からのレポート

東南アジアとインドの境界にある国ミャンマーからのレポートです。

2026年現在のミャンマーは軍事政権下の国です。
ミャンマー国内で続く内戦から逃げるために、300万人以上ものミャンマー人が、タイ、バングラディシュなどの国で難民・避難民として暮らしています。

私達は、タイ側の避難民キャンプ( 国際的な保護を受けていないキャンプ )、ミャンマー国内のIDPキャンプ(国内避難民キャンプ)、バングラディシュのコックスバザールにある世界最大の難民キャンプのそれぞれを訪れて、現状の視察と支援活動を行わせて頂きました。

東南アジアのミャンマーからの寄付レポートです

まずここでは、ミャンマーの地理、歴史、民族や言語、政治や経済、について、まとめています。

今のミャンマーを知るには、歴史や民族の事を知る事も大切だと思うからです。

また、セカンドライフのレポートからミャンマー問題に興味を持って頂いた方々にも、まずはミャンマーの基礎知識を知って頂きたいと思っています。

すでにご存じの方は、読み飛ばしていただいて問題ありません。

ミャンマーの地理

ミャンマーは東南アジアの西側に位置する国で、西はバングラデシュとインド、北東は中国、東はラオスとタイ、南はアンダマン海とベンガル湾に面しています。面積は約68万平方キロメートルで、日本のおよそ1.8倍あり、東南アジアでは最も広い国です。首都はネピドー、最大の都市はヤンゴンです。


国の地形は大きく見ると「北の山地」「中央の平野」「南のデルタと沿岸部」の三つに分けられます。
北部にはヒマラヤ山脈につながる高い山々が広がり、標高5,000メートルを超える山もあります。ここは森林が多く、少数民族が多く暮らす地域でもあります。東側にもシャン高原という標高の高い台地が広がり、石灰岩地形や洞くつが見られます。

国の中央を流れるのがエーヤワディー川(イラワジ川)です。この大河は北から南へと国を縦断し、肥沃な土を運びながら広い平野をつくってきました。中央平野はミャンマー最大の農業地帯で、特にコメの生産が盛んです。

川は南部で大きなデルタ(三角州)を形成し、多くの支流に分かれてベンガル湾へと注いでいます。このデルタ地帯は人口が集中し、ヤンゴンもその近くに位置しています。


気候は主に熱帯モンスーン気候で、雨季(およそ5月〜10月)と乾季(11月〜4月)がはっきり分かれています。雨季には南西からの季節風により大量の雨が降り、特に沿岸部や山地では降水量が多くなります。一方、中央平野は「ドライゾーン」と呼ばれ、国内では比較的雨が少ない地域です。そのため、灌漑(かんがい)による農業が重要になります。


ミャンマーは自然資源も豊かで、天然ガス、宝石(ルビーやヒスイ)、チーク材などが有名です。また、多くの河川や山岳地帯は水力発電や観光資源としての可能性も持っています。

しかし同時に、サイクロンや洪水、地すべりなどの自然災害のリスクも抱えています。2008年には大型サイクロンがデルタ地帯を襲い、大きな被害が出ました。


以上のように、ミャンマーは、広い国土と多様な地形、はっきりした季節変化を持つ国で、山地・平野・デルタという地理的な特徴は、人々の暮らしや産業、民族分布にも深く関わっています。

ミャンマーの歴史

ミャンマー(旧ビルマ)の歴史は、古代王朝から現代まで大きく変化してきました。

11世紀に成立したパガン朝は、現在の国家の基礎を築いた最初の統一王朝です。王アノーヤターのもとで上座部仏教が広まり、バガンには数千の仏塔が建てられました。その後、タウングー朝やコンバウン朝など、いわゆる「ビルマ王朝」が続き、ビルマ族を中心に勢力を広げました。
特にコンバウン朝は18〜19世紀に国を再統一しましたが、イギリスとの三度の戦争に敗れ、1886年に完全に植民地化されました。


植民地時代、国名は「ビルマ(Burma)」と呼ばれ、インドの一部として統治されました。
鉄道や港が整備される一方、民族間の分断も進みました。第二次世界大戦中には日本軍が進出し、独立運動が活発化します。
アウンサン将軍らの活動を経て、1948年に独立を達成しました。しかし独立後も少数民族との内戦が続き、政治は不安定でした。


1962年、ネ・ウィン将軍がクーデターを起こし、軍事政権が始まります。社会主義政策により経済は停滞し、国民生活は厳しくなりました。

1988年には大規模な民主化運動が発生しましたが、軍が武力で鎮圧しました。このとき民主化の象徴として登場したのがアウンサンスーチーです。
彼女が率いる国民民主連盟は1990年の総選挙で圧勝しましたが、軍は結果を認めませんでした。


1989年、軍事政権は国名を「ビルマ」から「ミャンマー」に変更しました。ビルマは多数派のビルマ族を強く連想させるため、より多民族国家を表す名称にしたと説明されましたが、民主的な合意を経ていなかったため、今も国際社会では両方の呼び名が使われています。


2015年にはNLDが再び総選挙で勝利し民主化が進みましたが、2021年に軍が再びクーデターを起こしました。

2026年現在も、軍と民主派勢力の対立が続いており、長引く内戦で、300万人以上のミャンマー人が国外に逃亡し、隣国のタイやバングラディシュに難民として避難生活を送っています。

軍は2026年に総選挙を実施する計画を示していますが、民主派や国際社会の一部は、公平な選挙になるのか慎重に見ています。

ミャンマーの民族と言語と宗教

ミャンマーは東南アジアの中でも特に、多民族国家として知られており、政府が公式に認めている民族は135あります。

人口の約6~7割を占めるのがビルマ族(バマー族)で、中央の平野部に多く住み、政治や経済の中心的な役割を担っています。
そのほかに、シャン族、カレン族、カチン族、チン族、モン族、ラカイン族など多くの少数民族が山岳地帯や国境地域に暮らしています。それぞれに独自の文化や伝統衣装、音楽、生活習慣がありますが、歴史的には中央政府との対立や武力衝突も起きました。


言語については、ビルマ語(ミャンマー語)が公用語で、学校教育や行政で使われています。しかし、各民族はそれぞれの言語を持っており、家庭や地域では民族語を話す人も多くいます。そのため、多くの人がビルマ語と自分たちの民族語の両方を使う環境で生活しています。


宗教は国民の約9割が上座部仏教を信仰しています。町には多くのパゴダ(仏塔)や僧院があり、僧侶は社会的に尊敬されています。仏教とともに「ナッ」と呼ばれる精霊信仰も残っています。

一方で、少数民族の中にはキリスト教徒が多いグループ(カチン族やチン族など)もあり、イスラム教やヒンドゥー教を信じる人々もいます。


ロヒンギャは、主に西部のラカイン州に住んでいたイスラム教徒の人々です。
長い間ミャンマーに住んできましたが、政府からは公式な民族として認められていません。

1982年の市民権法により多くが国籍を認められず、移動や教育、仕事に大きな制限を受けてきました。
2017年には軍との衝突をきっかけに大規模な暴力や焼き討ちが起き、多くのロヒンギャが隣国バングラデシュへ避難しました。

バングラディシュのコックスバザールは、世界最大の難民キャンプと呼ばれており、現在も130万人以上のロヒンギャが難民として生活しています。


ミャンマーは、多民族・多言語・多宗教が共存する国ですが、民族や宗教の違いが政治問題や人権問題と深く結びついています。ロヒンギャ問題は、その複雑さを象徴する出来事の一つです。

ミャンマーの経済

ミャンマー経済の柱は、農業、天然ガスなどの資源産業、そして縫製業です。農業ではコメの生産が重要で、多くの人が農業に従事しています。
また、沖合で採れる天然ガスは、タイや中国へ輸出され、国の重要な外貨収入源となっています。近年は安い労働力を背景に、衣料品の縫製工場が増え、日本や欧米向けに輸出を行ってきました。


しかし、クーデター以降は欧米諸国の経済制裁や外国企業の撤退が相次ぎ、通貨チャットの価値が下落しました。物価が上昇し、国民の生活は厳しくなっています。銀行機能の混乱や電力不足も、企業活動の妨げとなっています。また、国内の一部地域では武力衝突が続いており、物流や生産活動にも影響が出ています。


一人あたりGDPはおよそ1,200ドル前後とされ、東南アジアの中では低い水準です。貧困率も高く、特に農村部では教育や医療へのアクセスが十分ではありません。一方で、若い人口が多く、将来の労働力としての可能性は大きいといわれています。


今後のミャンマー経済の回復には、政治の安定が大きなカギとなります。国内の対立が収まり、外国との信頼関係が回復すれば、豊富な資源や地理的な位置を生かして成長できる可能性がありますが、現状では不安定な状況が続いており、経済の先行きは不透明です。

ミャンマーの現状

ミャンマーでは、2021年2月に国軍がクーデターを起こして以降、政治と社会の不安定な状況が続いています。選挙で選ばれた政権が倒され、国軍が実権を握りました。これに対して多くの市民が抗議デモを行いましたが、軍は強い弾圧で応じ、多数の市民が拘束され、犠牲者も出ています。
インターネットは監視され、言論の自由も制限され、SNSや報道への規制が続いています。


戦闘は都市部だけでなく地方にも広がり、国軍と少数民族武装勢力、さらに「人民防衛隊(PDF)」と呼ばれる民主派の武装組織との衝突が各地で続いています。
その結果、国内で住む場所を追われた避難民は300万人を超えたといわれています。安全を求めてタイやインド、バングラディシュなどの周辺国へ逃れる人も増えています。


続く内戦で、経済も深刻な打撃を受けました。外国企業の撤退や投資の減少、通貨チャットの下落、物価上昇により生活は苦しくなっています。
正確な失業率を把握するのは難しい状況ですが、工場の閉鎖や観光業の停滞により多くの人が仕事を失っています。特に若者の就職難は深刻で、将来への不安が広がっています。


2024年には国軍が徴兵制の実施を発表し、若者が兵役に就くことを義務づけました。
これを避けるために、国外へ出る人が更に増えました。タイやマレーシア、日本、韓国などへ出稼ぎに向かう動きが強まっています。

タイにはすでに多くのミャンマー人労働者がおり、建設業や水産業、工場などで働いていますが、法的地位が不安定な場合も多く、低賃金や不安定な労働条件の問題もあります。


西部ラカイン州のロヒンギャ問題も解決していません。2017年の軍事作戦以降、多くのロヒンギャの人々が隣国バングラデシュへ逃れ、今も難民キャンプでの生活を続けています。国内に残る人々も移動や教育、医療に制限を受けています。

ミャンマーの現状は、政治の混乱、武力衝突、経済悪化、人権問題が重なり合い、多くの国民が厳しい生活を強いられていますが、安定への道のりはまだ見通せない状況です。

ミャンマーでの活動

タイ側のメーソートにある避難民キャンプも含めたミャンマーでの活動レポートです。

大きく分けて、4つあります。

1)タイのターク県メーソートで、難民学校などへの支援

2)タイのターク県メーソートで、避難民キャンプへの支援

3)ミャンマーのIDPで、国内避難民への支援

4)ミャンマーの大都市ヤンゴンと首都ネピドーの視察

5)バングラディシュのコックスバザールで難民キャンプへの支援


※このうち、5については、バングラディシュのワールドレポートで、公開させて頂きます。

難民学校への支援 | タイ ターク県 メーソート

タイとミャンマーの国境の街、メーソート。

友情橋と呼ばれるタイとミャンマーを繋ぐ橋やミャンマー人街もあり、古くから、多くのミャンマー人たちが暮らして来た国境の街です。

ミャンマーの政治的な混乱で、国外に逃亡した仏教徒が沢山住んでいる街ですが、2021年のクーデータ移行、この街に住むミャンマー人の数は増加する一方です。

特に内戦下で、空爆や焼き討ちで、故郷を追われた人々は、メーソートの避難民キャンプで生活を送っています。

そんな避難民の子供たちが通う学校がいくつかありますが、その中の1つ「 ニューブラッドスクール ( New Blood School )」が、私達の支援先の1つです。

2024年には、1200個のランドセルと文房具を寄付するとともに、難民学校で初となる学園祭を開催しました。

2026年には、同志社大学のボランティアサークル「Re-ing (リング) 」さんが、2回目の学園祭を開催してくれました。


教育の空白期間を作らない事は、子供たちの将来にとって、とても大切です。そのための支援活動を行っていきたいと思います。


2026/07/17
  • # ミャンマー
  • # 学校
  • # SDGs Goal 4
2026/07/15
  • # ミャンマー
  • # 学校
  • # SDGs Goal 4
2026/07/13
  • # ミャンマー
  • # 学校
  • # SDGs Goal 12

避難民キャンプへの支援 | タイ ターク県 メーソート

ミャンマーからの避難民たちは、ミャンマー側の避難民キャンプ( IDPキャンプ )と、タイ側の避難民キャンプに分かれて、生活しています。

長く続く内戦の中で、ミャンマー国内のIDPが標的になり、空爆を受けることがあります。半国軍のゲリラ兵が紛れているとの情報などから、そのような攻撃に繋がっています。

空爆の音や、ロケットの光などは、メーソートからでも時々見ることができます。それほど、国境ぎりぎりまで、空爆を行うことがあるそうです。

ミャンマーのIDPを追われた人たちが、着の身着のままで、タイ側に逃げてくることが良くあります。
視察に行くたびに、タイ側のキャンプに住む人が増えている事を実感します。


2026/05/14
  • # ミャンマー
  • # スラム・難民キャンプ
  • # SDGs Goal 1
2025/04/10
  • # ミャンマー
  • # スラム・難民キャンプ
  • # SDGs Goal 1
2025/04/07
  • # ミャンマー
  • # スラム・難民キャンプ
  • # SDGs Goal 1

国内避難民( Internal Displaced Poeple ) への支援 | ミャンマー

ミャンマーの国内にも、避難民キャンプ( IDPキャンプ )があります。

一般的に、自国内で避難する人々の事を、国内避難民 ( IDP : Internal Displaced People )と呼びます。

ミャンマー国内のため、タイ側に比べて生活物資も乏しい生活をしているキャンプが多くあります。
多くのミャンマー人が、同胞を支援するために、毎週のように、食料や油などを、IDPキャンプに届けています。

私達も許可を得て、IDPキャンプに同行させて頂き、食料や防災ライトなどの支援を行わせて頂く事があります。


2026/05/14
  • # ミャンマー
  • # スラム・難民キャンプ
  • # SDGs Goal 1
2025/04/10
  • # ミャンマー
  • # スラム・難民キャンプ
  • # SDGs Goal 1
2025/04/07
  • # ミャンマー
  • # スラム・難民キャンプ
  • # SDGs Goal 1

首都ネピドーの視察と柔道着の寄付

ミャンマーの旧首都で、最大都市のヤンゴンと、現在の首都のネピドーも訪れました。

首都のネピドーには、柔道着をお届けさせて頂きました。
畳の上では、敵も味方もなく、真摯に柔道に取り組んでいる姿に感動しました。


2026/05/05
  • # ミャンマー
  • # スポーツ団体
  • # SDGs Goal 10

セカンドライフが支援できること

ミャンマー避難民の方へ、セカンドライフが支援できるものをまとめます。
ミャンマー避難民の方へ、セカンドライフが支援できるものをまとめます。

レポーターの中尾さんからのお話と写真から、ミャンマーでの避難民の方々の生活は、生存に必要な上下水道、電気、家などのインフラが、まだまだ不十分であることが分かりました。食事、トイレ・井戸、毛布、洋服といった人道支援が必要な避難民キャンプはまだまだ多いようです。

日本で震災などが起きた際にも似ていますが、まずは命を守るための緊急の支援があり、水やトイレ、防寒対策、食事、電気、家などがある程度満たされた段階で、生活をより豊かにしていく次の段階に移ります。

不要品の再分配(寄付)を通じて、世界の貧しい地域で起きている問題を解決する事が、セカンドライフのミッションです。その方法で、私たちができる事を、品目ごとに具体的にまとめていきます。


レポートを読んで頂き、ミャンマー支援に協力したいと思って頂けた方は、必要な品物のの寄付をお願い致します。


サンダルの寄付

ミャンマーの避難民キャンプでは、裸足の子供たちを沢山見かけます
ミャンマーの避難民キャンプでは、裸足の子供たちを沢山見かけます


ミャンマー側の避難民キャンプを支援している New Blood Scoolより、カネリタ避難民キャンプの3歳から10歳くらいの子供たちへのサンダルの支援要請があったとご連絡を頂きました。

お写真のように裸足の子供を多く見かけます。裸足だとけがをしたり、雨季には、デング熱やマラリアを始めとする感染症にかかる可能性も高くなります。

この状況を改善するため、セカンドライフからのミャンマー支援の第1弾として、サンダルの寄付を行わせて頂きます。


サンダルには隙間がありますので、その隙間に、子供たちへの古着を詰めて送ります。実際に送る品物や梱包の様子などは、発送しましたらご報告させて頂きます。

丈夫で清潔な洋服( 夏服 )の寄付

ミャンマーの避難民キャンプでは、汚れてぼろぼろになった服を着ている子供たちも多く見かけます。
ミャンマーの避難民キャンプでは、汚れてぼろぼろになった服を着ている子供たちも多く見かけます。


セカンドライフは、色々な寄付品を、世界中の国々へ、寄付品として送っています

文房具、楽器、スポーツ用品、絵本、おもちゃなど色々ありますが、箱に入れて送る際には必ず隙間ができます。その隙間を埋めるために、必ず、古着を入れています。少しでも多く物を入れたいので、古着は必ずと言ってよいほど送ります。

例えばピアニカを送るとき、古着で巻いてから送ったり、古着を緩衝材として活用しています。数か月の長旅で10mの波を超えていくときもあります。そんな時でも、きちんと巻いておけば安心です。

古着は、どこの国でも歓迎されます。サッカーが盛んでクラブチームがある地域だと、そろいのユニフォームを送ったりと、相手の状況を見て、仕分けてから、入れるようにしています。


アフリカへ送るサッカーシューズを、古着(ユニフォーム)で巻いて長旅での破損を防ぎます。
アフリカへ送るサッカーシューズを、古着(ユニフォーム)で巻いて長旅での破損を防ぎます。

参考リンク


ミャンマー避難民の方々へ、洋服の寄付


今回のレポートの、タイやミャンマーは、年間を通じて気温の高い地域です。暑季の3~5月は気温が35~40度になる日もあり、 6~10月の雨季は一日に何度も激しいスコールが降ります。11~2月の乾季はほとんど雨が降りません。

暑い地域なので、速乾性に優れていたり、洗った後乾きやすいものが、重宝されると思います。日本の古着は品質が良く、まだ着れる状態でも捨ててしまうものが多く、とてももったいないと思います。

洋服は、日本の夏服が適しています。運動量の多い子供たちは、半袖、半ズボンが目立ちます。どこの国でもそうですが、カラフルな色合いのもの、可愛いもの、キャラクターのものは、子供たちに人気があります。そして子供服は、小さいので沢山入る事も、利点です。

また、日本の体操服は、とても丈夫なので、アフリカ・アジア問わず学校などで好まれます。

セカンドライフには、作業着なども良く送られてきますので、必要があれば、将来的には、労働者の方々へ作業着などを寄付させて頂きたいと思います。

一言で古着と言っても、その国の状況や気候により、必要な種類は異なります。
今後、継続支援を続けて行く中で、より詳しい情報に更新していきたいと思います。

学校へのお絵描き道具の寄付

避難民キャンプ出身の水彩画家マウンマウンティン氏の書いた水彩画のポストカード
避難民キャンプ出身の水彩画家マウンマウンティン氏の書いた水彩画のポストカード


セカンドライフでは、クレヨン、色鉛筆、絵具、画用紙などの、お絵描き道具を支援していきます。

食料、水、トイレ、洋服などと比べると、お絵描きの道具や遊び道具は、少しだけ贅沢品にも見える事があります。でも、私たちは、子供たちにお絵描き道具を寄付して自由に絵を描いてもらう事は、とても大切なことだと考えています。

子供たちは、勉強だけではなく、遊び・スポーツ・お絵描き・音楽などを通じて、自己表現や社会性について学びます

欲しいものは何ですか?と聞くよりも、欲しいものを描いてみて。と言った方が、より多くの情報が伝わる事も良くあります。

アフリカなどの内戦が頻発する地域では、子供たちのカウンセリングの一環として、絵を描いてもらう事があるそうです。機関銃・戦車・血などを描く子供もいます。

苦難の生活の中の子供たちにとって、想像力を膨らませて自由に行動できるお絵描きの時間が、大切な時間になれば良いなと思います。

セカンドライフでは、お絵描き道具を支援した子供たちの先生にお願いをして、「お絵描き大会」を開催して行こうと考えています。

セカンドライフに、色々なものを心を込めて寄付して頂いた皆さまに、ぜひ見て頂きたいと思っています。

場所、年齢、性別、国籍、民族など、バラバラな感性の子供たちの絵を、沢山描いていただいて、ホームページ上でどんどん公開していきたいと思っています。

そこには、もしかしたら、難しい文字のレポートよりも大切な事が、たくさん詰まっているかもしれません。

私たちは、これから先の近い未来に、たくさんの絵に出会えることを、とても楽しみにしています。

用語解説

学校への文房具の寄付

お写真は、ブータンの高地 サクテン村に住む子どもたちです。鉛筆を寄付した様子です。
お写真は、ブータンの高地 サクテン村に住む子どもたちです。鉛筆を寄付した様子です。


文房具は、アジア、アフリカ、南米、など、どの国でも必要とされる品物です。古着と同様に、海外で人気の寄付品です。

鉛筆、ノート、消しゴム、定規など、どれだけあっても足りないくらい常に物資が不足しています。

セカンドライフでは、ミャンマー避難民への教育支援として、文房具の寄付を開始します。

フィリピン、ブータン、コンゴ民主共和国、マリ共和国などへは「 ランドセル500個プレゼント プロジェクト 」として、ランドセルの中に文房具や楽器、遊び道具、お絵描き道具を入れて送るのですが、現時点でのミャンマー避難民への支援に関しては、ランドセルは無しで古着や布バッグなどを支援していく計画です。


参考リンク

Wash Project への参加

セカンドライフは、不要品の寄付を通じて、社会の課題に挑戦していますので、基本的に不要品の寄付が支援の方法となります。

ただ、今回のミャンマーレポートで、インフラの整備も必要だと思いましたので、清潔で綺麗なトイレを避難民キャンプに建設するためのWash Project に参加させて頂きます。


参考リンク

ミャンマーレポーターさんの情報

REVIEWER 中尾恵子

お住まい : 大阪府大阪市

ホームページ : http://www.brcj.org/

ミャンマー避難民キャンプを支援する理由を教えてください

カウンターパート SAWの子供たちと
カウンターパート SAWの子供たちと


2021年2月1日にミャンマー軍によるクーデターが勃発しました。

ミャンマー軍による攻撃で住む場所を奪われた人びとが、タイとミャンマーの国境地域の難民キャンプで避難生活を送っています。

ミャンマー側では国内避難民と呼ばれ、全体の総数が266万人(2023/12/16)となり、人道支援を必要としています。難民となった人々は、お互いに助け合い生活していますが、国際的な支援はほとんど届かず、多くの人びとが貧困に苦しんでいます。

タイ側に逃れたミャンマー人は、生きていくために移民労働者となり、多くの人びとが低賃金で農業や建築業に従事しながら稼いだお金で食べ物などの支援物資を買い、国境の川を徒歩や船で越えて、ミャンマー側の避難所へと支援物資を運んでいます。

現在のこの地域では、人道支援として必要な食糧・医療品・衣類・生活必需品が、慢性的に不足している状況です

2023年はサイクロンや洪水被害があり、避難所の修復費用が必要となりました。ボランティアなどの人材については、ミャンマー人のコミュニティーで補うことができましたが、金銭、物品的な支援が十分には届きませんでした。

一般社団法人日本ビルマ救援センター(BRCJ)は1988年から活動をしている団体です。日本からの単発の支援は見られますが、継続支援をしている団体はBRCJだけです。

ミャンマー側の避難民キャンプでの活動

ミャンマーのカレン州カネリタ避難民キャンプで子供たちが食事をしているところ
ミャンマーのカレン州カネリタ避難民キャンプで子供たちが食事をしているところ

2021年のクーデター以降は、BRCJは、国際NGOの支援が届かないミャンマー国内のカレン州、カヤー州の避難キャンプへ、現地のカウンターパートを通じて人道支援を行っています。

避難民キャンプは、それぞれのインフラやコミュニティーの成熟度が状況が違います。

あるキャンプでは、すでに自立プロジェクトが始まり、その成果が見えてきました。別のキャンプでは、インフラを整えることから始めないと自立プロジェクトを進めることはできません。


ミャンマーのカヤー州での活動


カヤー州はミャンマーの7つの州の中で最も小さく、少数民族カレンニー族が支配する州で、特にクーデター以降、激しい紛争を経験してきました。

チーク材、タングステン、スズなどの天然資源が豊富です。第二次世界大戦後の戦後補償として建設されたバルーチャウン水力発電所があり、日本との関わりも深い場所です。

カヤー州はまだまだ自立支援ができる状態ではありません。継続の人道支援が必要ですカヤー州はまだまだ自立支援ができる状態ではないため人道支援を最優先しています。

※ カヤー州に住むカヤン族は、日本では首長族として有名です。


ミャンマーのカレン州での活動


カレン州( ※現在の州名はカイン州 )は、カレン族が多数派を占めており、カレン族の自決権の獲得を目指しています。カレン州では、ローコー、ティーボーコー、カネリタという3つのキャンプで人道支援や、井戸の建設と自立支援を進めています。


用語解説


国境の川を渡りミャンマー側の難民キャンプへ物資を輸送しています
国境の川を渡りミャンマー側の難民キャンプへ物資を輸送しています

食べるものをたくさん積んで川を歩いて移動するための道具です
食べるものをたくさん積んで川を歩いて移動するための道具です

ミャンマー避難民キャンプに生活のための暖かい毛布を寄付したところ
ミャンマー避難民キャンプに生活のための暖かい毛布を寄付したところ

無電化地域に、ソーラーランタンを寄付したところ
無電化地域に、ソーラーランタンを寄付したところ

洗濯や水浴び用に利用する生活用水
洗濯や水浴び用に利用する生活用水

タイ側の避難民キャンプでの活動

ターク県ポップラ群にある移民労働者の家
ターク県ポップラ群にある移民労働者の家

タイ側には国際的なNGOの支援などが届いていますので、人道支援ではなくインフラの整備を進めています。移民労働者の子どもたちのためにターク県のメーソート群、ポッププラ郡には64校の学校があります。


タイのメーソート群での活動


メーソート群には、カウンターパートのNew Blood School ( NBS )があります。NBSは、内戦の激化で避難民になり、国境沿いのキャンプに逃れた子供たちを受け入れている学校です。

2021年のクーデター以降、ミャンマーからタイへ逃れてきた子どもの数が急増し、どの学校も定員を超える人数で対応しています。

学校に通えない子どもたちも多くいます。移民学校への支援として、文房具、お絵描き道具、楽器、運動具が必要とされています。


タイのポップラ群での活動


多くの移民労働者が暮らすターク県ポップラ群ではSAW(子どもと女性のための社会活動 Social Action for Children and Women)をカウンターパートとして、清潔なトイレを建設するプロジェクト 「 Wash Project 」 を進めています。また、移民学校支援として学校を増築したり、衛生環境の向上への支援を行っています。

子どもたちの学力向上のために、キャンプ内の教室に図書コーナーの設置したり、無給で子どもたちを指導している教員への手当の支給などの教育支援も同時に進めています。


学校で、300人分のおでんを作っているところ
学校で、300人分のおでんを作っているところ

学校で、みんなで凧あげしているところ
学校で、みんなで凧あげしているところ


避難民キャンプで、古着を寄付しているところ
避難民キャンプで、古着を寄付しているところ

ミャンマー避難民キャンプで、古着をもらった子供たち
ミャンマー避難民キャンプで、古着をもらった子供たち

Wash Project 安全で清潔なトイレを届けよう

この地域では、清潔なトイレが必要です。
この地域では、清潔なトイレが必要です。

ミャンマーの避難民キャンプには、無電化の集落があります。上下水道などのインフラ整備が進んでおらず、トイレがないキャンプもあります。子どもたちが通う学校もトイレは300人の児童に対して一ヶ所しかありません。

BRCJは、現地のカウンターパートであるSAWと協力して、トイレを建設するプロジェクト( Wash Project )を進めています。

セカンドライフは、基本的に物の支援を行う団体ではありますが、今回のお話をお聞きして、トイレ建設にご協力させて頂く事になりました。現在、トイレの建設が終わった段階で、またご報告させて頂きます。


1基の建設費用は、20,000バーツ( 約 85,000円 )です。

ご覧いただいている方で、Wash Project への資金協力をご希望の方は、ご連絡下さい。すぐに対応させて頂きます


2024年2月8日

トイレの建設途中のお写真を頂きましたので、掲載しておきます

トイレの建設中の様子です。
トイレの建設中の様子です。

ミャンマーの豆知識

ミャンマーについて知る上で、必要な事を、まとめています。

政治的な話がどうしても多くなりますが、ご興味ある方は、見てみて下さい。


用語解説と、その他の情報

ここでは、文中で出てきた用語、人名などを詳しく解説しています

アウンサン・スーチー

安倍首相と会談した際のスー・チーさん( 首相官邸ホームページ )
安倍首相と会談した際のスー・チーさん( 参照 : 首相官邸ホームページ )


アウンサン・スーチーさんは、第2次世界大戦中の1945年6月にミャンマーの首都ヤンゴンで生まれました。お父さんは、有名な独立運動家でミャンマーのお札にも肖像画が採用されました。1947年に暗殺されましたが「ビルマ建国の父」として死後も敬愛されています。

スーチーさんは英才教育を受けて、インドのデリー大学とイギリスのオックスフォード大学、アメリカのニューヨーク大学で学びました。

父の研究を行うため日本語も習得し、1985年10月から翌年7月までの約9か月間、京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日していました。

1987年ころから、ビルマでの活動を開始。1988年の国民民主連盟を結成し、書記長に就任しましたが、1989年7月に自宅軟禁されました。結果的には、1990年5月27日の総選挙では、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟が大勝しました。しかし、軍事政権側は、「民主化より国の安全を優先する」と権力の移譲を拒否したため、その後も軍事政権が続きました。

このことが国際的な反発を招き、スーチーさんの名前を多くの人たちが知る事になりました。

2009年には、「国家転覆防御法」違反の罪で起訴され裁判が始まりました。この基礎に対して、著名人44人( ニコール・キッドマン、ブラッド・ピット、デビッド・ベッカム、他)が反対し、解放を求める共同声明を発表したことも大きく報道されました。

その後、2012年には世界中を訪問し、4月には日本では当時の安倍総理と会談し、9月にはホワイトハウスでオバマ大統領と会談を行いました。

2013年に再度日本を訪問した際には、今回のレポーターであるBRCJの中尾さんとも面会されています。


難民と避難民の違い

「難民」という言葉は、難民条約によって国際的に定義されています。

人種、宗教、国籍、政治的意見、あるいは特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々

公式難民キャンプとは、国連の難民条約に基づいて難民認定された人々が住むキャンプです。国連などの世界的な支援が届きます。

難民キャンプという言葉は良く聞く言葉ですが、タイ・ミャンマー国境付近では公式難民キャンプだけでは、人々を収容できないため、非公式の難民キャンプが存在していて「避難民キャンプ」と呼ばれます。

他国から何らかの理由で、自国に逃れてきた人々に対して、「難民」という言葉を使うと、国際条約に従って、保護しないといけなくなる。ため、難民という言葉を使えない場合があります。

例えば、日本でも「避難民」という言葉が良く使われています。日本は「難民受け入れ」に対して消極的な国だからです。

最近だと、ロシア進行によるウクライナ支援で、2000人くらいの方が日本にやってきましたが、「難民」として受け入れたわけではなく、人道援助として受け入れているため、「ウクライナ避難民」という言葉が使われます。

ロヒンギャ 世界最大の難民キャンプ

バングラディシュ コックスバザール 多くのロヒンギャの住む難民キャンプ
バングラディシュ コックスバザール 多くのロヒンギャの住む難民キャンプ


ミャンマーと西側の国境を接するバングラデシュ南部のコックスバザールには、世界最大の難民キャンプがあり、ロヒンギャと呼ばれるイスラム系のミャンマー難民が、たくさん生活しています。

2024年現在では、約100万人のロヒンギャが、コックスバザールで過密な住環境の中で最低限の暮らしをしています。

ロヒンギャとは、ミャンマーのラカイン州に住むベンガル系のイスラム教徒の民族名です。言語は、ロヒンギャ語を使用します。英語ではロヒンジャ、タイではロヒンヤと発音されます。

1990年代からミャンマー国内での差別と迫害にあい、多くの人々が国外へ逃れました。2017年には、ミャンマー軍によるラカイン州への大規模な侵攻があり、その際に数十万人のロヒンギャが、コックスバザールへ逃れたため、ロヒンギャ難民の数が膨れ上がり、100万人にまで達しました。

ロヒンギャ難民の半数以上が18歳未満の子どもで、5歳未満の子どもの10%以上が栄養失調状態にあります。キャンプ内は、衛生状態・治安共に悪く、モラルも低下しています。

ロヒンギャたちは、ミャンマーでも、バングラディシュでも国籍も権利も持てず、無国籍で、基本的な権利もありません。多くのロヒンギャが、自国への帰還を望んでいますが、目途は立っていません。

ロヒンギャ危機として大きな問題になっていますが、ウクライナ侵攻の陰であまり報道されないため、ご存じない方が多いと思います。

カウンターパート

カウンターパートとは、国際的な共同作業・協力活動などを行う時に、現地での金銭や物資の受入れを担当する人や機関の事です。
日本語では、「 受け入れ担当者 」「 受け入れ担当機関 」と言い換える事ができます。

今回の場合、タイ国内で、ミャンマー避難民を支援している団体や子供の教育支援を行っている学校がカウンターパートになります。

カヤン族 首長族

タイで、観光業に従事している首長族の女性たち
タイで、観光業に従事している首長族の女性たち

タイやミャンマーに住む少数民族のカヤン族は、選ばれた女性が首に金色の真鍮リングを巻く風習を持っています。幼いころから1年おきにリングを増やし少しづつ首を長くしていきます。

首が長いほど、美しい。という美意識の元に、この風習を行っているため、日本では「 首長族 」として知られています。

タイ側のカヤン族も、元はミャンマーから逃れてきた避難民です。タイのチェンマイで、観光目的に新設された村に定住し、編み物や装飾品といった民芸品を作り、それを観光客に売って生計を立てています。

ミャンマー出身の水彩画家 マウンマウンティン

避難民キャンプ出身の水彩画家マウンマウンティン氏の書いた絵のポストカードです
避難民キャンプ出身の水彩画家マウンマウンティン氏の書いた絵のポストカードです


Maung Maung Tinn マウンマウンティン

マウンマウンティンは、1969年にビルマ(ミャンマー)東部のカレン州に生まれた水彩画の画家です。1994年ころに弾圧を逃れて、避難民としてタイに出国し、苦労の末に芸術大学で学士号を取得して、画家として成功しました。

現在は画家として、祖国やタイで苦しんでいる人々の為に日々絵を描いていており、自身の絵へ寄せられた寄付は国境沿いの多くの貧しい家族のために宛てています。

より多くの人々がミャンマー ( ビルマ ) の現状を認識し国際社会が変化することを願い、人々にビルマ難民のことを忘れないでほしいと訴えるために筆を執っておられます。

人々の生活世界を緻密な筆致で描き出す彼の水彩画は、これまでにアメリカ、カナダ、スイス、イタリア、フランス、ベルギー、日本の7カ国で13回にわたり展示されてきました。


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REVIEWER 中尾恵子

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