No 686 ロヒンギャ 世界で最も迫害されている少数民族 ( Rohingya )
ロヒンギャ( Rohingya )と呼ばれる少数民族がいます。
ミャンマーの西部、ラカイン州( 旧アラカン州 )に住む人々で、イスラム教を信仰し、ベンガル系のロヒンギャ語を話す人々の総称です。
ロヒンギャの人々の起源と難民化
隣国インドのムガル帝国が全盛の頃、現在のバングラディシュの辺りまで、インドの領土でした。インドは、ヒンズー教徒の多い国ですが、イスラム教徒に改修する人々が多くあらわれて、その人々の多くは、現在のバングラディシュ付近、パキスタン付近に多く住んでいました。
現在のバングラディシュ、インドとミャンマーの国境付近は、ベンガルと呼ばれる地域でした。ベンガル語を話す人々が住み、イスラム教徒の多い地域で、ベンガルという言葉が、現在のバングラディシュの語源ともなっています。
ミャンマーは、ちょうどインドが終わり、アジアの始まる地域で、特に西側のインド国境付近 ( ラカイン州など) には、古くから、ベンガル系の員スラム教徒達が沢山住んでいました。
ミャンマーは仏教の国で、アジア系のビルマ人が多い国です。ちょうどミャンマー西部のラカイン州辺りでは、イスラム教徒と仏教徒が共存して暮らしていたと言われています。
元々のミャンマーでは、仏教徒とイスラム教徒の境目の国として、共存関係が築かれていたようです。
時代が移り、インドはイギリスの植民地となり、ミャンマーもイギリス領インド帝国の1州として、統治されました。
イギリスは政策として、支配している地域に、インド系の移民を大量に送り込みました。例えばフィジーには、現在もインド系の住民が多く住んでいますが、それも同じ理由です。
現在のミャンマーにも沢山のインド系の移民者が移住しました。このころから、ミャンマー( 当時のビルマ )国内で、インド系住民への排斥感情が増加し、現在に続く、ベンガル系のムスリムへの差別勘定に繋がったと言われています。
第2次世界大戦が終わり、1948年にイギリスから独立して、現在のミャンマーには、ビルマ連邦という国が設立されました。
その後のビルマは、独裁政治と独立運動の中で、ずっと内戦状態にありました。1990年代後半から、アウンサンスー・チー氏の下、民主化が進み、2015年ミャンマー総選挙ではスーチー氏が率いる NLDが圧勝し、民主化政権が発足しました。
しかし、軍との対立とロヒンギャの人々との対立は収まらず、2017年に国軍とロヒンギャ、独立武装勢力(アラカン)との間で、大きな衝突が発生します。
この衝突で、約70万人のロヒンギャが国外に脱出し、その多くがバングラディシュのコックスバザールで、難民として暮らすことになりました。
2021年に軍事的なクーデターが発生し、軍事政権が発足した後も、ロヒンギャへの迫害は続き、2026年1月時点では、130万人のロヒンギャが、コックスバザールの難民キャンプで生活していると言われています。
世界最大の難民キャンプ バングラディシュのコックスバザール
一言でいうと、ロヒンギャ問題とは、「国を持たない人々が、帰る場所も、未来の選択肢も持てないまま、
世界最大の難民キャンプで暮らし続けている現実」と言えます。
コックスバザールには急ごしらえの難民キャンプが次々と作られ、現在では約130万人ともいわれるロヒンギャ難民が暮らす、世界最大規模の難民キャンプとなっています。
キャンプ内の住居は、竹や木材、ビニールシートで作られた簡易的なものがほとんどです。人口密度が非常に高く、雨季には洪水や土砂崩れが発生し、乾季には火災が頻発します。
電気、水、医療、衛生環境はいずれも十分とは言えず、感染症のリスクも高い状態が続いています。住民の約半数は子どもであり、多くが十分な教育を受けられないまま成長しています。
本来、難民キャンプは一時的な避難場所であるはずでした。しかし、ミャンマーに安全に帰還できる見通しが立たず、問題はすでに数年にわたって長期化しています。国籍を持たないロヒンギャの人々は、移動や就労の自由も限られ、将来の選択肢が極めて少ない状況に置かれています。
国連や各国、国際NGO、日本を含む支援によって、食料配給や医療、教育、防災対策などが続けられていますが、資金不足により支援は年々厳しくなっています。
ロヒンギャ問題は、人道支援だけでなく、国際社会全体で解決策を考え続ける必要がある深刻な課題であると言えます。
セカンドライフは、このコックスバザールの難民キャンプを視察すると共に、支援活動を行っています。
2026年には、防災用品( 防災毛布、手回し式懐中電灯 )などと共に、文房具などの学用品支援、サッカー用品などの支援を行いました。
現在、現地の学校、弁護士、ロヒンギャ支援団体などと協議しつつ、コンテナでの支援物資輸送を計画中です。