一人の「侍」が教えてくれたこと

「きれいごと」と言われようとも、ガキ大将のように青臭く
2011年、あの悲劇から始まった「人としての生き方」

目次

1 ) はじめに

こんにちは、NPO法人グッドライフの福井です。

もうすぐクリスマス。2020年も残すところ、あとわずかになってまいりました。

今年は、セカンドライフに届いたお手紙やメッセージに何度も励まされ、勇気をもらった一年でした。
コロナウイルスの拡大で、ご自身も不安な中、いつも温かいお言葉をかけてくださる皆さま、本当にありがとうございます。


今回は、一人の侍から始まった、心温まる物語をご紹介させて頂きます。


こちらは、株式会社ナイスキャリーサービス 猪上章 社長



日本で使われなくなった、あらゆる物資を、コンテナに積み合わせて海外に輸出するプロジェクトに取り組んでおられます。
グッドライフにお送り頂いた物資も、コンテナに積み合わせて、海外の方々にお届け頂いております。

この度、猪上氏の地元である、愛知県春日井市まで取材に行ってまいりました。

2 ) 訪問レポート

午前9時30分、私たちは、愛知県春日井市西高山町にある前岡公園にいました。
公園の中心には、大型のトラックが並べられ、次々と、荷物が運び込まれてきます。



荷物を運んでいるのは、町内会の方や市議会議員さん、地域の協力企業さんです。

何をしているのかというと、町内会をぐるっと回りながら
不要なもの、一人で動かせないものを、お手伝いして回収しています。



不要品と言っても、廃棄品ではなく、国内外で、まだ使えるものは多く、
おこさまの学童用品やおもちゃ、食器、自転車や鏡台、タンスなどの大型家具もあります

不要品回収で集まったものは、コンテナに積み合わせて海外へ出荷し、
得られた収益は、地域の子ども達の夢を後押しするための取組み「子どもの夢事業」に還元されます。

一日で、トラック4台満タンに、集まりました。

これだけたくさんの荷物を運び出し、回収することは、大変な労力と計画が必要です。
また、一般的には、大型家具などの処分を業者さんに依頼すると、お金がかかることが多いです。

しかし、この不要品回収プロジェクトでは、ご家庭に費用の心配は一切させません。
ひとりで動かせないものであれば、なおさら、お手伝いに駆けつけます。



今回参加して、心を動かされたのは、
大変な作業にも関わらず、誰もが楽しそうに、作業をしているんです。

やはり、人から「ありがとう」と感謝されることは、やりがいと幸せな気持ちを与えてくれます。



3 ) 活動について

西高山町での活動は、今年で2回目になるそうです。

今から4年前、猪上氏によって、プロジェクトが始まりました。

当時、愛知県春日井市の松山小学校のPTA会長を務めていた猪上氏は、学区内にある13箇所の公園で不要品回収を実施し
トラック3台分の不要品をスリランカへ出荷しました。

貧しい国や地域へただ寄付するのではなく、商売として継続していくための支援を行うのが、猪上氏のスタイル。
子どもには鉛筆や筆箱などの文房具を寄付し、小売店には商品を販売し、販売ノウハウを教えます。


その翌年(2018年)には、松山小学校、春日井小学校で「不用品登校日」をつくりました。
不用品登校とは、子ども達が、各家庭で不要になったものを持って、登校するという、取り組みです。

そして今年(2020年)は、バージョンアップされた不用品登校が開かれました。

その日は、小学校で個人面談が行われるため、保護者は、それぞれが面談の時間に合わせて、来校します。
そこに焦点をあてた猪上氏は、「ドライブスルー回収」という方法を考案されました。

保護者の皆さんは、不要品を積んで来校するだけ。
また、個人面談は時間が決まっているため、混雑せずに不要品をおろすことができます。



私は、猪上氏のように、大きなことを成し遂げる人に対して、
「きっと発想力があるんだ」「センスが違う」という風に見ていました。

ところが、決して、それだけではないことに気がつきます。

アイデアが生まれるのは、何度も何度も考えて、誰よりも、本気で考えているからではないか。と


「人としてあり続けたい」

そんな猪上氏を駆り立てるものは、今から9年前にさかのぼります。

4 ) 活動のきっかけ

2011年、東日本大震災が起きる。

猪上氏は、すぐさま被災地である宮城県気仙沼市に、支援物資を届けに駆けつけました。
その後、現地で、災害対策本部に必要なものを聞き、愛知県に戻ると物資を積んでとんぼ返り。
そうした支援を、2週間で7往復、行いまいた。

その後、松山小学校の校長、当時のPTA会長らと協力して、支援物資を調達。
子ども達が書いた手紙と一緒に被災地に、届けました。

日本では、災害が起きると、被災地の災害対策本部に、全国からたくさんの支援物資が送られます。
とてもありがたく、被災者にとっても、嬉しいものです。

しかし、必要としている場所にものが行き届いた後は、使い切れない量の物資を抱えている被災地も多いです。


そんな時、タイで大洪水が起きました。
そこで活かされたのが、東日本大震災により被災地が抱えていた支援物資です。

当時の支援物資の中には、相当数の使い切れない衣類があるという情報を耳にしていたことから
宮城県と岩手県の災害対策本部に、物資の提供を相談し、必要としている人の役に立つなら、と両本部とも快諾

元々、輸出事業でタイに交流があった猪上氏は、支援を打診、正式に要請を受けます。
その後すぐに、衣類やタオル、水などを準備し、タイのラムパーン県ナゴ地区へと届けました。


あれから10年。

「人として、人であり続けたい」

そう語る猪上氏は、

今日も不要品に「命」を吹き込みます。



5 ) 誰もが夢を見られる世界に

「将来はパイロットになりたい」
「お医者さんになって人を救いたい」
「外に出て世界各国の文化を知りたい」

誰もが、夢を持てる世界にしたい

こうした世界に必要なことは
継続可能な仕組みづくりです。

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